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公開:2022/01/21

更新:2021/12/15

【他競技から学ぶ】シリーズ第2弾

岐阜県立岐阜商業高等学校男子バレーボール部は、全国大会でベスト8に進出したこともある強豪チーム。県内では11連覇を果たすなど、全国大会の常連校として高校バレーボール界で名が知られている。そのチームの礎を築いた小椋正男先生は、バレーボール経験は2年のみ、教科は国語で教員としてははじめからバレーボールの指導者を志していたわけではなかった。それでも、全国大会常連校にチームを育て上げた秘訣はどこにあるのか。小椋先生にこれまでの指導を振り返っていただきながら、指導者としての考え方やチームづくりについて迫っていく。

―本日はよろしくお願いします。まずは、先生がバレーボールの指導者になられたきっかけから伺えればと思います。

小椋先生(以下:小椋):最初からバレーボール部の指導者を希望していたわけではありませんでした。初めに赴任した高校が当時は荒れている学校で、生徒たちの持て余すエネルギーを部活動で発散させて学校を正常化させようという方針でした。私自身は中学生の頃に野球をやっていたので、最初は野球部の顧問ならと伝えたら、野球部はすでに専任の人がいるということで断られて、高校の2年間バレーボールをやっていたので、バレーボール部の顧問なら何とかやれるかもしれませんという話で、バレーボール部の顧問になることになりました。当時はバレーボール部の選手たちもかなり荒れていましたし、県大会にも出られないレベルのチームでしたね。

↑今回インタビューをさせていただいた小椋先生

最初は選手と共に汗をかく指導

―そうした状況で、どのようにチームをつくられていったのでしょうか?

小椋:就任当初は、練習も自分たちがやりたいことだけをやっている状況でした。これでは県大会も出られないなと思って、新チームがスタートするときに当時のキャプテンの生徒と「バレーボールをやるからには県大会を目指そう」と目標を決めたのが指導者としてのスタートになりました。

私自身も何を教えて良いかわからない状況でしたので、選手と一緒に練習しながら指導をしていました。そうして指導をする中で、ただ「アタックを打て」とか「レシーブをしろ」というだけでは勝てないなと思うようになって、地元の強いチームに練習試合をお願いにしました。そこで、その監督さんに「あなたは意欲的だからきっと良い指導者になれますよ」とほめてもらって、選手と頑張って練習をしていたら県大会には出られるようになりました。そこから、県大会のベスト8、ベスト4を目指すようになって、自分自身も熱が入るようになりましたね。

―なるほど。

小椋:その当時は、練習をやってやってやりまくるという感じでした。指導理論も特になかったので、基礎練習の反復だけでした。基礎練習の反復と、いわゆる根性バレーで、県大会のベスト8までは進むことができました。その後、地元の中学校の選手たちをスカウトするようになって、ベスト4まで進むことができました。初めてスカウトした選手たちが今40代中盤くらいなのですが、その選手の親友の子供が今県立岐阜商業でリベロとして活躍してくれています。あの当時、情熱だけで一生懸命やっていた“指導者小椋正男”を選手もある程度評価してくれていたのかなと思います。だからこそ、親友の子供が小椋先生のところでバレーをしたいと言ってくれたのかなと感じますね。

地元の中学生の育成に注力して

―県大会ベスト4に入れるようになってから県で優勝するまでには時間はかかりましたか?

小椋:初めてベスト4に入ってから優勝するには、5,6年かかりました。今から思うと、県大会で優勝するには、指導理念がしっかりあって、選手もある程度そろわないと勝てないのかなと思います。

強いチームにはいい選手が入ってきますが、県大会ベスト4レベルのチームだとトップレベルの選手が入ってくるということはありません。そこで、地元の中学生を育てようと考えて、毎週地元の中学生にも指導をしていました。それから、当時はインターハイ予選が終わったら3年生が引退していましたので、引退した3年生に中体連の予選に合わせて毎日放課後に中学校の指導に行かせていました。そのおかげで、地元の中学校でも県大会でベスト4に入るチームが出てきて、その選手たちが高校にも入ってきてくれるようになって、選手のレベルも少しずつ上がっていきました。

もう一つ、そうした活動を評価してくれた県内の他の地区の中学校の先生からも「小椋先生は熱心に指導されているから、うちの選手を預けてみようか」と評価してもらって、県内の強豪中学校からも選手が来てくれるようになって、そこからチームもグングングンと伸びていきましたね。

預かった選手の進路は必ず面倒をみることが信用に繋がる

小椋:そうして来てくれた選手、スカウトした選手の進路は必ず面倒をみるということは、その当時から貫いています。「小椋先生は、必ず預かった選手の進路の面倒をみてくれる」という点を、中学校の先生や保護者の方に信用していただいているのかなと思います。進路というのも、バレーボールで進学する選手ばかりではないので、預かっている間に勉強にもしっかりと取り組ませて大学に進学させる、就職先も面倒をみるようにしています。就職・進学共にスカウトした選手も一般で入った選手も全員面倒をみるということで、県内では評価してもらって選手を預けてもらえることも増えましたね。

―今までのお話を聞いていて、先生の情熱、熱意が凄まじいものがあるなと感じました。その原動力はどこにあるのでしょうか。

小椋:預かった選手に幸せになってもらいたいという思い。それが一番かもしれません。せっかく袖触れ合った仲であったら、何とか良い人生を歩んでほしいという思いですね。30代の頃は、自分が勝ちたいという思いで指導をしていました。選手よりこちらの方が勝ちたいという感じでしたね。ただ、年齢を重ねていくにつれて、『生徒を勝たせてあげたい』とか『自分に関わる人に幸せになってもらいたい』と思うようになっていきました。

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